左高 信(さたか まこと 評論家)の本を読んでいた、けして彼が好きなわけではない、タイトルが面白かったんですね「こいつだけは許せない!」のタイトルだったのだけど。
内容とタイトルは全然関係ない!だまされた・・・・と憤慨しているわけではない・・・。
本の冒頭にホンモノとニセモノこの二者は実はとても近いところに居るのではないか?と説いている。
医者でもホンモノの医者でやぶ医者が居たり土手医者がいたり(藪は見通しが利くが土手は全然見えない)
ニセ医者が治療して治ったこともあるがホンモノの医者が例の土手医者だったり・・・と書いていた。
同じ様に、設計士でも1級の資格を持っていても全然設計できなくて無資格の人間に設計させて判を押すだけの設計者、実は資格が無いニセモノのほうが出来ると言う事だ。
世の中デジタル化されているとよく言われています、0か1か二者択一で判り良いと。
しかしホンモノとニセモノも二者択一と思われやすいが実は中々見分けが付かなくてアナログ的ではないか?
振り返って、建築のデザインも二元対比と言う言葉があるように、古いものと新しいもの 丸いものと直線的なもの 黒いものと白いもの 良く見かけますね。
シンプルに成ればなるほど判り良いデザインが増えていくようです。
果たして建築も含めてモノは解り良いものをが本当に良いのだろうか??人間て思考する葦じゃなかったけ?
考える事を止めたら只のサル?(猿さんに失礼か!)勿論諸事情によって出来ない場合もあるのは承知であくまでも総論での話ですけどね。
建築のデザインの中で見た目はシンプルに見せかけて、実は考えさせるところを隠し持っているのを狙ってみたいなと時折考えているのです。