微妙な話です。
人と人がともの行動しようとする為には互いを知る必要があります、其の為の道具として言葉がありますが此の言葉の使い方が色々と問題を起こす事があります。
自分はそうでは無いと思っていても相手がそうは思っていない事があります。
此れはコミニュケーションの取り方の問題があるようです。
この「自分はそんな気持で言ってるのではない」此処に付きますよね。
一番シンプルに言いましたが此の言葉を拡大解釈すると国際社会で起きている紛争も同じ事が言えるのかも知れない。
話がえらい大きく出ましたが、大なり小なり考え方はそこにあるのだと思います。
こうした問題を解決するにはコミュニケーションを磨く事だと最近更に痛切に思っています。
お互いを隔てている「境」で有ったり「間」の様に精神的な隔たり、間合いであったりそこが重要だと思います。
ひょっとしたら私達人間社会では重要なそして永遠に課せられる問題点なのかもしれません。
写真はタイのメーサイから撮った写真です、此の数mは慣れた小川の対岸はミャンマーのタチレクです。
なんと数m先が他国なのです。
しかし住民達は川を渡ってお互いに勝手に行き来しています。
同じ言葉を話、同じ生活のコミュにテーを持っていますが、しかし、そこは国を分けた「境」国境なのです。